NTR report No.M-9602-2 [BACK]

水銀朱製造の石臼出土
龍野の養久山前地遺跡にて 最古で最大級の品

龍野市教委は1995年1月12日、同市損西町前地の養久山・前地(やくやま・まえじ)遺跡から、水銀朱の製造に使われたとみられる弥生時代中期役半の石臼(うす)が出土した、と発表した。水銀朱は顔料として使われ、弥生時代後期から古墳時代にかけて一般化したとされている。水銀朱製造用の石臼としては最古で最大級だという。


弥生時代中期後半の遺跡から出土した
石臼=龍野市揖西町の市教委埋蔵文
化財調査事務所で
石臼は凝灰(ぎょうかい)岩質砂岩製で、同遺跡内の竪穴式住居跡から見つかった。一辺が約45cmのほぼ正方形で、厚さ約10cm。中央部が大きくくぼんでおり、表面がうっすらと赤色に染まっていた。

成分を鑑定した結果、硫化水銀が検出され、水銀朱であることがわかった(*1)。天然鉱石の辰砂(しんしゃ)を石臼でつぶして、水銀朱を取り出したらしい。水銀朱は弥生時代後期から古墳時代にかけて、祭祀(さいし)や埋葬施設で盛んに使われた。

辰砂の原産地だったという徳島県の名東(みょうとう)遺跡からも、弥生時代中期後半の石臼が出土しているが、自然のくぼみを利用しており、今回出土したような加工製品ではないという。

また、養久山・前地遺跡の近くで辰砂は取れず、四国や大和地方などの原産地から鉱石のまま運ばれ、製造したらしい。どのような流通経路で運ばれ、同遺跡内で水銀朱がどのような使われ方をしたのかはわかっていない。

同市教委の岸本道昭学芸員は「この遺跡からは昨年5月、大和地方の工人が製造したと見られる絵画土器も出土しており、他の地域と特別な流通経路があったのだろう。水銀朱が一般化する約百年も前に、原産地でもない播磨で製造されていたとは驚きだ」と話している。

朱関連の遺物に詳しい福岡市埋蔵文化財センターの本田光子さんは「畿内ではこれまで、水銀朱の製造用と見られる石杵(きね)が数点発見されており、石臼が発掘されるのを心待ちにしていた。どのような経路で水銀朱が広まっていったのか解明できるのでは」と期待している。

(朝日新聞(平成7年1月13日)より転載; *1:民間研究機関ニッテクリサーチが実施)


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