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古代工人は薄肉の銅鐸をどのように鋳造したか
復元銅鐸の調査に基づく製法の推定('98国際金属会議講演内容)



はじめに
    賀茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群
    最初に、島根県・教育委員会編「古代出雲文化展−神々の国・悠久の遺産」に掲載された加茂岩倉遺跡の全発掘銅鐸の写真を拝借しました。私自身も、大阪の展示会場で実物を遠方より拝見し、二千年の昔に立つ、神秘的な気分を実感しました。これらについて、今後詳しい調査が出て来るのが大変楽しみです。
    写真に一部見られますように、「銅鐸の厚み」が大変薄いのに気が付きます。各地で発掘された銅鐸も、3mmあるいはもっと薄いものまであると言われています。現代の技術をもってしても、このように薄い銅の鋳物を欠陥なしに製造することは容易ではありません。古代の技術者達が、どのような方法でこれを実現していたのかは、今もって大きな謎のーつです。
    しかし、銅鐸は貴重な文化遺産であり、容易に手を加えることが出来ないため、鋳造方法を推定する手がかりや情報を得るには限界があります。このため、従来の調査は、紋様、大きさ、厚み、化学成分などが主体で、解明は遅々としていました。

    銅鐸の復元製造をおこない、その手がかりを得ようとする試みがこれまでにも幾つかありました。鋳造方法を推定するのに、金属学的な調査が不可欠です。
    今回、NHKの依頼で、現代の美術品鋳造家の一人である小泉武寛さんが銅鐸の復元製造を実施して下さいました。これを材料に、金属学的調査をおこない、「古代の技術者たちがどのようにして薄肉の銅鐸を鋳造したか」の解明に、少しでも近づきたいと言うのが今日のお話です。

加茂岩倉1号銅鐸
小泉復元銅鐸


(加茂岩倉1号銅鐸の写真)

    加茂岩倉1号銅鐸の高さは約45cmでした。小泉さんが復元をめざしたのはこれと同じものです。

(復元銅鐸の製作工程−NHKテレビの一こま)

    これをどのようにして造ったのでしょうか。(島根の)地元の皆さんは、NHKの放送を通じて見られた方も多いはず。そのテレビの一こまだけを紹介します。

    工程: (1)土を練る → (2)2枚の外型を造る → (3)乾燥後、紋様を彫る → (4)外型を合わせる → (5)中子を造り、銅鐸の肉厚に相当する厚みを削り取る(型持ちを残す)→ (6-1)外型・中子を組み合わせて固定 → (6-2)全体を砂場に埋める → (7)溶融した銅合金を鋳込む

(小泉銅鐸の写真)

    出来上がった復元銅鐸がこの写真です。高さは約45cmで、紋様などが忠実に再現され、表面および内側にも目で見える欠陥はなく、表面は滑らかに仕上がっています。

    因みにそれぞれの部分は、次の名称となっています。
    「吊り手」「舞」「鰭」「鐸身」「裾」「型持ち」

(実測した重量・寸法)

    出来上がった銅鐸の重さは、7.2kgでした。神戸市立博物館の森田氏の整理した「銅鐸−重さ」の図によると、高さ45cmの銅鐸の重さは 4kg-7kgに相当し、今回製作したものはこれでも重い分類に属しています。

    復元銅鐸の重量・寸法
    重 さ7.2 k9全 長44.4 cm舞半径7.5 cm
    胴 長32.7 cm裾半径11.7 cm

(肉厚測定結果)

    銅鐸は表裏面に凹凸が多く、複雑な曲面をしていることから、連続的に肉厚をはかることも結構難しい。このため、「変位計」とブロックゲージを組み合わせて特殊な測定器を構成してこれを行いました。
    高さ方向の一断面の実測例がこのチャートです。厚みは3.5mm-5mm強までバラツキが見られます。下の厚い箇所は人工的突起です。

    また、銅鐸表裏面における高さ方向の5箇所の断面肉厚を測定した結果、場所により厚みの違いがあり、薄いところで2.6mm,厚いところは6mmとなっていました。
    厚さのバラツキの原因は、一つは鋳型の製作精度(隙間の不均一)、ほかに、鋳込み時にガスが発生し、溶けた金属が固まるときに妨害を及ぼしたことなどが関係しているかも知れません。
    薄い銅鐸を鋳造するための重要なポイントは、厚みを「均一にすること」であると考えられます。

(調査サンプルの位置)

    文化財の化学組成調査には、非破壊法の蛍光X線分析法が多く用いられています。 分析精度を高め、金属組織等を調べるためには、どうしても少量の試料が(破壊試験用に)必要となります。
    このため、所有者のNHK、製造者の小泉さんの了解を得て、熱影響等がないよう、特殊な装置(ワイヤーカツター)で、端部から約10mm角の微小試料を切り出しました。

    切断箇所は、裾部周方向6箇所(a,b,c,d,e,f)と、吊り手部上下(g,h)の計8箇所。

(化学組成)

    化学成分の分析は、溶液化処理後、ICP法(誘導結合プラズマ発光分析法)を用いて行いました。
    溶解時の原料配合は、銅(Cu)85%, 錫(Sn)10%,鉛(Pb)5%と言われていましたが、鋳造品ではSnが7%と目標成分値より低くなりました。また古代銅鐸に微量含まれる砒素(As),ビスマス(Bi),アンチモン(Sb)などは定量下限以下と低く、位置による分析値の差は殆ど有りませんでした。特殊脱酸はしていないため、酸素(O)はかなり高い。温度が古代に比べれば高くなっていると思われ、これも一因かも知れません。

(X線透過写真)

    このX線透過試験は、人間の胸の検査を行うレントゲンと同じ方法です。曲面になっているため、幾つかのブロックに分けて撮影し、これらを合成しました。他に奈良大学の西山先生が、古代銅鐸について撮影した例などがあります。
    薄かったり、孔が開いていると白く写ります。鐸身部には、大きな空孔が全体に広がって見られます。丸い孔なども沢山見えますが、これはガス(水蒸気・空気・水素等)発生によるものと考えられます。
    したがって、これを防止するには、ガス発生の原因を徹底的に除去する必要があります。「たたら」の乾燥の大掛かりなことなど考えると、古代ではかなりのことをやっていたのではないでしょうか。なお、試料を切り出した(銅鐸の)端部は、空孔の少ない部分であることを記憶しておいて下さい。

(EPMA(X線マイクロアナライザー)二次電子像)

    比較的健全部である「切り出し試料」の断面を詳しく調べると、小さな空孔が無数に存在しています。

(EPMA成分分布)

    EPMA法によると、元素のミクロ的な分布状況を詳しく調べることができます。 1例として、g部(吊り手部・内側)の元素分布写真を示します。

    銅(Cu),錫(Sn),鉛(Pb)いずれも 青→黄→赤 の色に進むほど、その成分の濃度が高いことを示しています。

(EPMA合成)

    元素単独の分布では、分かりにくいので、これらを合成した結果を示します。 赤は銅(Cu)、青は錫(Sn)、黄色は鉛(Pb)を表します。
    少し分かりにくいかも知れませんが、注意してみると、赤(銅Cu)と青(錫Sn)はそれぞれ混ざり合っています。さらに正確に言えば、相互に元素が拡散しあっています。一方、黄色の鉛(Pb)はこれらと異なり、混ざり合うことなく単独で細かく分散していることが分かります。

(凝固モデル)

    このことを、金属学的に単純なモデルにして示します。次のように凝固が進行しているものと説明されます。
    つまり、最初、銅(Cu)が結晶し始め、温度低下とともに、Cu-Snの合金層がその周りに凝固していきます。Cu-Sn-Pb系の場合には、鉛(Pb)が排出され液体として残っていきます。鉛Pbを含まないCu-Sn系の均合は、当然のことながら鉛Pbは出て来ません。
    このことは、大変重要な意味をもっていると考えられます。一般に、液体が凝固するとき、必ず収縮が伴います。薄い銅鐸では、凝固時間が短いため、収縮孔が細かく分散することになります。先ほど見た微細な空孔もこれの一部です。この微細な空孔を埋めるのに、低温まで凝固しない液体の鉛Pbが大いに役立っているものとみてよいでしょう。X線写真で見た大きな空孔は、このようにはいきません。これは、水蒸気ガスのようなガスの発生によるものと理解され、鉛Pbで埋められるようなものではありません。別の対策が必要と考えられます。

(金属学的現象)

    繰り返しになりますが、復習すると、薄肉の鋳物と厚肉の銅鐸が凝固するときの現象は、このようになっており、薄すぎても、厚すきてもまずいことになってしまいます。3mmくらいが丁度よい厚さであることを見出していたのではないでしょうか。
    これらのことを、古代の人々は経験的によく知っていたものと思うと、ほとほと感心してしまいます。

(硬度分布凝固組繊)

    最後に、試料断面の硬さの分布の測定結果を示します。
    表面の硬さと、内部の硬さは50%-100%も違っています。また、吊り手部と裾部でも差が見られます。このようなことは、非破壊で表面の硬度を計っただけでは、決して分からないことで、従来手法の限界をも示しています。
    このように内外部で硬度の大きさに大きな差が発生する原因は、表層に硬い層があり、場所によって、結晶の大きさなどが異なるためと推定されます。表面の硬さは、凝固時の応力の発生状態を示す大切な指標となります。
    銅鐸の内部に、割れや空孔が沢山存在すると、それがキッカケとなってこの応力で銅鐸を割ってしまうことになり兼ねません。収縮孔をうまく分散させ、かつその小さな孔を溶けた鉛Pbで穴埋めすることで、この応力で銅鐸が割れないようにしたものと推定されます。
    硬さは材料の強さに関係します。表面に生じた硬い部分をうまく利用して、鋳造品内部に溜まった応力を抑制しているのかも知れないし、薄い銅鐸をつくる一つの意味が、ここにもあったのかも知れません。そのバランスが崩れれば割れます。(実際に)割れた銅鐸が発掘されることもあります。「叩いて壊した」のだという説までありますが、科学的解明がこれらの説を否定することになるかも知れません。


(まとめ)

    (今回の発表内容は)まだ、ほんの一部の研究結果に過ぎませんが、「古代技術者達の優れた知恵と経験に敬服せざるを得ない」というのが実感です。今後、さらに精度の高い再現実験と、徹底的な解剖調査が必要であり、そのことが、限界のある文化財調査の間隙を埋める意味で極めて大切であると考えます。また、文化財についても、「保存一辺倒にならぬよう」、一歩進んだ解明の道が開かれることを願って止みません。ご静聴ありがとうございました。


'98国際金属歴史会議しまね「銅シンポジウム」講演内容


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